オーナーの勇退にあわせて、事業会社から役員退職金を支給するのは、事業承継の定番の手法です。オーナーは長年の功労に見合う資金を受け取れ、事業会社の利益と純資産が減ることで、ホールディングス(HD)の株式の評価も下がりやすくなります。
ただし、退職金は「払えば株価が下がる」という単純な話ではありません。損金として認められる金額には限りがあり、承継のタイミングを誤ると評価の効果が出ません。会社から多額の資金が出ていくため、承継後の財務と金融機関の評価にも影響します。この記事では、HD体制で退職金を使うときの仕組みと注意点を整理します。
- 事業会社が退職金を支給すると、利益と純資産が減り、類似業種比準価額と純資産価額の両方が下がりうる。HD株式の評価も、保有する事業会社株式の評価を通じて下がる
- 類似業種比準価額は直前期末の数字を使う。退職金を損金にした事業年度の決算が終わった後に贈与・譲渡するのが基本
- 受け取るオーナーは退職所得。勤続年数に応じた控除と2分の1課税で、給与よりかなり軽い
- 損金になるのは相当な金額まで(法人税法34条2項)。功績倍率の根拠と、実質的な退職の事実をそろえる
- 退職金の目的は功労への対価と承継。株価を下げることだけが目的に見える設計は、総則6項のリスクもある
退職金でHD株式の評価が下がる仕組み
非上場株式の原則的評価は、類似業種比準価額と純資産価額を、会社の規模に応じて組み合わせて求めます(財産評価基本通達179)。類似業種比準価額は「配当・利益・純資産」の3つの要素を、上場している同業の会社と比べて計算します。
事業会社が退職金を支給すると、次の2つが同時に起こります。
- 退職金が損金になり、その期の利益が大きく減る
- 現預金が外に出ていくため、純資産も減る
HDは事業会社の株式が資産の大半を占めるため、株式等保有特定会社(株式等の割合が50%以上)に当たり、原則として純資産価額方式(またはS1+S2方式)で評価されることが多くなります(財産評価基本通達189-3)。この場合でも、HDの純資産価額の計算では、保有する事業会社株式を財産評価基本通達で評価し直すため、事業会社の評価が下がればHD株式の評価も下がります。株式保有特定会社の判定は株式保有特定会社に注意、HD化後の評価の基本はHD化すると自社株の評価はどう変わる?で解説しています。
承継のタイミング
類似業種比準価額は、原則として課税時期の直前期末の利益・純資産を使います。退職金を支給した事業年度の途中で贈与しても、その期の決算は反映されません。
| 時期 | 類似業種比準価額への反映 | 純資産価額への反映 |
|---|---|---|
| 退職金を支給した事業年度の途中 | 反映されない(前期の数字のまま) | 課税時期の資産・負債で計算するため、仮決算をすれば反映されうる |
| 退職金を損金にした事業年度の決算後 | 反映される(利益と純資産が減った数字) | 反映される |
| その翌期以降 | 利益は通常の水準に戻り始める | 純資産は徐々に回復する |
退職金で評価が下がるのは、一時的な現象です。決算後の評価が下がった時期に、後継者への贈与や、後継者のHDへの譲渡を行うのが基本の考え方です。
退職金を受け取るオーナーの税金
役員退職金は退職所得として、ほかの所得と分けて課税されます。計算式は次のとおりです(国税庁 No.1420)。
- 退職所得控除額:勤続20年以下は40万円×勤続年数(最低80万円)、20年超は800万円+70万円×(勤続年数-20年)
例えば、勤続30年のオーナーに1億円の退職金を支給すると、退職所得控除額は800万円+70万円×10年=1,500万円で、退職所得の金額は(1億円-1,500万円)×2分の1=4,250万円です。同じ1億円を役員報酬で受け取るよりも、課税の対象はかなり小さくなります。
ただし、役員としての勤続年数が5年以下の部分の退職金(特定役員退職手当等)には、2分の1課税が適用されません。HDを新しくつくり、HDの役員を数年で退任してHDからも退職金を受ける場合などは注意が必要です。また、同じ年や近い年に複数の会社から退職金を受けると、勤続期間が重なる部分の控除が調整されることがあります(所得税法施行令70条)。事業会社とHDの両方から退職金を受ける予定なら、時期と金額を事前に試算します。
損金になる金額と時期
相当な金額まで
役員退職金のうち、業務に従事した期間、退職の事情、同業で事業規模が似た法人の支給状況などに照らして不相当に高額な部分は、損金になりません(法人税法34条2項、同法施行令70条2号)。実務では「最終月額報酬×勤続年数×功績倍率」で計算する功績倍率法が一般的です(法人税基本通達9-2-27の3)。
注意したいのは、退職金を多くするために最終月額報酬を引き上げることです。東京地裁令和2年3月24日判決(税務訴訟資料270号順号13403)は、退任後に月額25万円だった報酬を100万円にさかのぼって増額し、その100万円を基礎に功績倍率8倍で退職金を計算した事案で、その最終月額報酬は退職金の算定根拠を整える目的で決められたものとして、功績倍率法ではなく1年当たり平均額法で相当額を判断しました(国税庁 税務訴訟資料(PDF))。適正額の考え方は役員退職金の適正額:功績倍率法と裁判例で詳しく解説します。
損金にする時期
退職した役員への退職金は、原則として株主総会の決議などで額が具体的に確定した日の属する事業年度の損金になります。支払った事業年度に損金経理する方法も認められています(法人税基本通達9-2-28)。株主総会の決議がないまま未払金に計上しても、その期の損金にはなりません。国税不服審判所の平成13年11月13日裁決(裁決事例集No.62)は、医療法人が社員総会などの決議がないまま期末に未払計上した役員退職慰労金について、額が具体的に確定したのは翌期の社員総会の承認日だとして、その期の損金算入を認めませんでした(国税不服審判所)。
また、HD体制では、事業会社の社長を退いた後も事業会社の経営に関わっていると、実質的に退職していないとして退職金そのものが否認されるおそれがあります。役割の分け方はオーナーは事業会社の社長を退きHDの社長へ、分掌変更の要件は分掌変更による退職金で整理しています。
退職金の資金と、銀行からの見え方
退職金は会社から現金が出ていく取引です。資金の手当ての方法は、主に次の3つです。
| 資金の出どころ | 内容 | 注意点 |
|---|---|---|
| 手元の現預金 | 積み上げてきた内部留保から支払う | 承継後の運転資金が薄くならないか |
| 生命保険の解約返戻金・保険金 | 退職金の財源として加入していた保険を解約する | 解約返戻金が益金になるため、利益の圧縮効果は小さくなる |
| 金融機関からの借入 | 退職金の資金を借りる | 借入が増え、純資産も減る。返済計画が必要 |
金融機関は、退職金の支給で純資産が減り、借入が増えることを見ます。著書のモデルでは、債務償還年数=(借入金-現預金)÷(経常利益+減価償却費-法人税等)で、10年以内を健全な目安としています。退職金の期は経常利益が大きく減ることもあるため、「一時的な支出であり、翌期以降は通常の利益に戻る」ことを、事業計画とともに説明します。
大きな退職金で会社の財務を傷めてから承継すると、後継者が金融機関との関係で苦労することになります。退職金と、HDへの株式売却を組み合わせてオーナーが資金を得る方法もあり、その比較はオーナーのExit:HDへの株式売却と退職金の比較で解説します。
M&A仲介役員・FAS出身の公認会計士の経験をもとに、株主構成の整理、株価算定、親族内承継、外部への売却とデューデリジェンスまで支援します。初回のご相談は無料です。
事業承継・M&A支援を見る総則6項との関係
退職金を使った株価対策は、退職という実態があり、金額が相当であれば、それ自体が否認されるものではありません。ただし、財産評価基本通達には、通達による評価が著しく不適当な場合は国税庁長官の指示で評価するという定め(総則6項)があります。退職の事実が伴わない、金額が過大、評価を下げた直後に不自然な取引を重ねる、といった場合は、退職金の否認だけでなく、評価そのものが問題になるおそれもあります。総則6項のリスクはHD化による株価対策と総則6項、総則6項による株式の評価を参照してください。
退職金の設計は、オーナーの功労に報い、後継者が健全な会社を引き継ぐという目的から出発し、株価への影響はその結果として確認する、という順番で考えます。
まとめ
- 事業会社の退職金は、利益と純資産を減らし、事業会社株式を通じてHD株式の評価を下げうる
- 類似業種比準価額は直前期末の数字。退職金を損金にした事業年度の決算後に承継する
- オーナーは退職所得として軽い課税。ただし役員勤続5年以下の部分や、複数社からの受給は注意
- 損金になるのは相当な金額まで。最終月額報酬の操作は否認された例がある
- 資金の手当てと承継後の財務を考え、銀行に説明できる金額にする。目的は功労と承継であり、株価だけではない
