日本銀行金融研究所は2026年11月6日、ディスカッション・ペーパー「スタートアップ企業における株主と企業価値担保権」(No.2026-J-9、小川紘一弁護士・山本慶子 同研究所企画役補佐)を公表しました。2026年5月に始まった企業価値担保権を使って融資を受けるとき、貸し手の金融機関と、ベンチャーキャピタル(VC)などの株主との間で利害がぶつかりうる場面を整理し、株主の権利がどう扱われるかを分析したものです。なお、論文の内容は執筆者個人の見解で、日本銀行の公式見解ではありません。
不動産などの担保や経営者保証に頼らずに借りられる仕組みとして期待されている企業価値担保権ですが、「会社の総財産」を担保にする以上、株主にとっても大きな意味をもちます。この記事では、論文と金融庁の公表資料をもとに制度の仕組みを確認し、外部の株主がいる会社が借りる前に整理しておくことを考えます。
- 企業価値担保権は、無形資産や将来の財産も含む会社の総財産をまとめて担保にする仕組み。2026年5月25日から使えるようになり、この担保権を使う融資では経営者保証などの権利行使が原則として制限される
- 設定は取締役会設置会社なら取締役会の決議で足りる。ただし、種類株式の拒否権や株主間契約の事前承諾条項があると、株主の同意なしの設定は無効や契約違反の問題になりうる
- 担保権が実行されると、裁判所の許可を得た事業譲渡には会社法の株主総会の特別決議や反対株主の株式買取請求の規定が適用されない。論文は、株主に残余の価値がある場合の手続の保障が十分でない可能性を指摘している
- 借り手は、定款・株主間契約の確認と株主への事前説明、そして毎月の業績報告ができる体制を整えてから検討したい
論文と金融庁の資料で示された内容
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 根拠となる法律 | 事業性融資の推進等に関する法律(2024年6月成立、2026年5月25日施行) |
| 担保の対象 | 技術、特許、ブランド、データなどの無形資産や、将来会社に属する財産も含めた会社の「総財産」(同法7条1項) |
| 経営者保証 | この担保権を使って融資する貸し手による、個人保証などにかかる権利の行使を制限(同法12条1項) |
| 設定の方法 | 借り手の会社と企業価値担保権信託会社との信託契約による(同法8条1項)。貸し手が1社だけなら、その金融機関が担保権者になることも想定 |
| 設定の決議 | 取締役会設置会社は取締役会の決議事項(同法10条2号)。定款で株主総会の決議事項と定めた場合は株主総会の決議が必要 |
| 設定後の制約 | 重要な財産の処分や、事業の全部または重要な一部の譲渡には、担保権者の同意が必要(同法20条2項) |
| 実行の流れ | 裁判所が選んだ管財人が経営と財産の管理を担い、裁判所の許可を得て事業を譲渡し、代金を配当(同法157条1項など) |
| 実行時の株主 | 担保権の実行としての事業譲渡には、会社法467〜470条(株主総会の特別決議、反対株主の株式買取請求など)が適用されない(同法157条6項) |
| 論文の指摘 | 実行には債務超過が要件とされておらず、株主に残余の利益がある場合がありうる。それを守る手続が十分でない可能性があり、裁判所の許可を株主保護の手続として位置づけ、公正な事業譲渡を確保する必要がある |
出典:日本銀行金融研究所「スタートアップ企業における株主と企業価値担保権」(2026年11月6日)、金融庁「企業価値担保権(旧:事業成長担保権)について」。条文番号は論文の記載による。
なぜ株主との間で利害がぶつかるのか
企業価値担保権を使った融資は、貸し手が事業の中身を理解し、融資した後も業績を細かく見ながら支えていく、という関係を前提にしています。論文によれば、業績の悪化の兆しが見えたら、まずは借り手自身の経営改善を促し、それでも難しければ任意の事業譲渡を探り、最後の手段として担保権を実行する、という流れが想定されています。
この流れの中で、株主と金融機関の利害がぶつかりうる場面を、論文は3つに分けています。
| 場面 | 起こりうる対立 |
|---|---|
| ① 担保権を設定するとき | 会社と金融機関は融資を受けたい一方で、種類株主が拒否権や事前承諾を求めている場合、その同意なしに設定すると効力が問題になる |
| ② 融資を受けている間 | 金融機関の経営改善の支援の内容が、投資の回収や利益を重視する株主の考えと合わないことがある |
| ③ 担保権を実行するとき | 事業譲渡が株主総会を経ずに進むため、事業の売却で投資を回収しようと考えている株主の権利が十分に守られない可能性がある |
①について論文は、拒否権を種類株式の内容として定款に定めている場合は、種類株主総会の決議を経ない設定は会社法上無効になると解されるとしています。一方、株主間契約などで事前承諾を定めている場合は、設定そのものは無効にならず、契約違反の責任の問題にとどまるという違いがあります。ただ、どちらの場合でも、株主の同意を得ずに設定すれば、その後の事業運営に支障が出かねないと指摘しています。
③は、通常の会社法の手続との違いが大きい点です。会社が事業の全部や重要な一部を売るときは、株主総会の特別決議が必要で、反対する株主は会社に株式を買い取るよう求めることができます。企業価値担保権の実行としての事業譲渡では、これらの規定が適用されません。論文は、この点が立法の想定どおりだとしたうえで、株主にとっては重要な関心事であり、設定の段階で株主の理解を得るためにも、実行時の扱いを明らかにしておく意義は大きいと述べています。
外部の株主がいる会社は、借りる前に何をするか
ここからは、税理士・公認会計士として、また融資を受けて事業を続けてきた立場からの考えです。
論文はスタートアップとVCを念頭に置いていますが、同じ問題は、親族や取引先、投資家が株主に入っている中小企業や、事業承継の途中で株主が分かれている会社にも起こりえます。企業価値担保権は「会社の総財産」を担保にする以上、株主から見れば、会社の将来を左右する重要な契約です。私自身、2019年に複数の銀行から「貸せません」と言われ、財務の立て直しに苦労しました。借りられる道が増えること自体は歓迎すべきことですが、その分、社内の合意づくりを丁寧に行うことが前提になると考えます。
| 確認すること | 具体的な中身 |
|---|---|
| 定款 | 担保の設定を株主総会の決議事項にしていないか。種類株式に拒否権(担保の設定や重要な借入れを対象とするもの)がないか |
| 株主間契約・投資契約 | 「担保の設定」「重要な契約の締結」などに株主の事前承諾が必要になっていないか |
| 株主への説明 | 担保権が実行されると株主総会を経ずに事業が譲渡されうること、経営者保証がなくなる代わりに会社の総財産が担保になることを説明し、書面で同意を得る |
| 既存の借入れ | 他の金融機関の借入れや担保をどう整理するか(借換えでまとめるのか、併存させるのか)を貸し手と相談する |
| 事業計画と報告 | 事業計画、月次の試算表、資金繰り表、KPIを毎月出せるか。期中の対話が前提の融資なので、報告の遅れは信頼に直結する |
| 経営の自由度 | 重要な資産の売却やM&Aなどに担保権者の同意が必要になることを、将来の計画と照らし合わせておく |
特に大事なのは、株主への説明を融資の申込みより前に済ませておくことです。融資の審査が進んでから株主の承諾が必要だと分かると、スケジュールが大きく遅れます。種類株式や投資契約は、資金調達のたびに条項が追加されていることが多いので、最新のものをそろえて確認しましょう。
また、企業価値担保権だけが経営者保証を外す方法ではありません。財務の状況によっては、通常の融資で経営者保証を外す交渉ができることもあります(経営者保証を外すには)。スタートアップであれば、ベンチャーデットや資本性ローンなど、ほかの選択肢との比較も欠かせません(ベンチャーデットとは、スタートアップの資金調達の選択肢)。
今後も注意して見ていきたいこと
- 実際の取扱い件数と条件:制度が始まって約半年です。どの規模の会社に、どのくらいの金額・金利で融資が行われているかが見えてくれば、中小企業にとって現実的な選択肢かどうかが判断しやすくなります
- 株主保護の議論の行方:論文が指摘した、実行時の株主の権利の扱いについて、実務や議論がどう進むか
- 金融機関のモニタリングの中身:期中の対話が前提の融資です。金融庁が地銀に融資先の管理の強化を求めている流れ(金融庁が地銀に「融資先の管理強化」を要請)とあわせて、借り手に求められる報告の水準がどうなるか
まとめ
日銀金融研究所の論文は、企業価値担保権という新しい融資の仕組みが、貸し手と借り手だけでなく、株主にも大きく関わることを示しました。設定は取締役会の決議で足りる場合が多いものの、種類株式や株主間契約の条項によっては、株主の同意が欠かせません。担保権が実行されれば、株主総会を経ずに事業が譲渡されることもあります。
外部の株主がいる会社が企業価値担保権での借入れを考えるなら、定款と契約の確認、株主への事前説明、毎月の報告体制の3つを先に整えておきましょう。ほかの資金調達の手段と比べたうえで、自社に合うかどうかを判断することが大切です。
